今年あまり雪が降らなかったことについて神様に祈った話[さんぽ道 #3]


2024年もあっという間に3月になりました。今年はあまり雪も降らず、去年のような”冬感”みたいなものがないまま、もういつの間にか春がそこまで押し寄せてきました。

春が来る、ということ自体はだいたい喜ばしいことですが、個人的には今年は少し残念な思いもあります。
というのも、去年のクリスマスツリーにかけた様々なメッセージの中には
「雪がたくさん積もりますように」という願い事があったからです。
教会の牧師としては、あのメッセージを書いた、(恐らく小学生くらいの子ではないかと思いますが)その子がどうか「神様は私の祈りを聞き入れてくれなかった」と躓かないでほしい、と祈っているところです。

神様は本当に大変だと思います。
人はそれぞれ色んな事を願って、真逆なことを祈り求めることもたくさんあるからです。
”雪がたくさん降ってほしい派”も、”あまり寒くないようにしてほしい派”もいます。私は実は、今年は前者寄りの立場だったので笑、前述の子どもの願いごとを神様が聞いて下さればいいなと思っていましたから、祈る中で改めて

「どうして全知全能だという神様は、一日くらいは雪をたっぷり降らせてくださってもよかったのに、今年は降らせなかったのでしょうか。
神様はある時は、こんな、しっかり祈りもしてないことでも聞いて下さるのかというくらい気前よく自分の願いを分かって聞き入れて下さることもあるのに、ある時は些細なことだとしてもはっきり願い事として求めたことで、その実そんなに難しくないようなことを叶えて下さらない場合もあるから不思議だし気になります。」
と尋ねてみました。

すると、まず自分自身でも考えに浮かんできたことは、
「たくさん雪が降ってほしいという願いも、文字にしたならそれを正確に見ると、”いつまで” ”いつ”など、タイミングをはっきり求めなかった。だから、今年降らなかったからと言って、神様が”願いを聞いて下さらなかった”と決めるのは違うかもしれない。もしかしたら来年たくさん降らせて下さるかもしれない。それでも願いを叶えたとは言える。
他にも、願い事には”どこで”ということも書いてなかったから、その願いの主人である子どもがもし今年どこかスキー場に行ってそこでたくさん雪が降っていたなら、それもまた神様がその願いを叶えてないとは言えない。」
ということでした。

3:1天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある
3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、…(中略)
3:10わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。

(伝道の書3章)

そうです。聖書にあるように、すべてのことには時があるんです。

春の花は冬には閉じていなければいけないし、夏の花は春にはまだ咲かないのがよいのです。神様はすべてに『時』を定めて創造なさった、つまり創造物それぞれが最も輝くべき時とタイミングがあるということを知っておくことが大切です。
だからきっと神様は、”雪がたくさん降る”ということについても、神様の考える「時」に一番よい形で願いを叶えようとして下さっているのだな、そうだ。

と、ここまで考えた時に、ふと「実際どんなメッセージだったか確認してみよう」と霊感が来ました。そしてツリーにかけられたメッセージを確認してみたところ…

いや「たくさん」ってどこにもなかったー・・・。
ただ雪が降ることの願いでした。

はい、雪はちゃんと降りました今年。
神様、ちゃんと願いを叶えて下さってました…なんか、すみませんでした。

私が個人的に勝手に「去年のようにたくさん」降ってほしいと思っていたし、それをちゃんと祈り求めてもなかったから、たくさん降らなかっただけ、勝手に残念な思いになって、勝手に子どものこととか心配してただけでした。躓かないように祈っていたということも、神様の前では全くお門違いな祈りでした。はい、すみませんでした神様。

ということで、雪があんまり降らなかったなと残念に思うところから始まった神様との対話を通して、改めて神様は正確に自分の祈りを聞いて下さっていること自分の祈りが本当に成されているのかどうか確認もしてみて、感謝するべきことはちゃんと感謝しなければいけないということを、直接体験して学ぶようになりました。
これで何の未練もなく、春を迎えられそうです笑

皆さんにとっても、新しい春が喜びと共に迎えられるように祈ります^^


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