たかが虫、されど虫。聖書では…[さんぽ道 #4]


先日、少し遠出のさんぽをしました。
京都を離れ、瀬戸内海は大三島、山と海に囲まれた島の芝生で
しばし時間を過ごしていた時、一緒にいた友人が急に叫びました。

「何やこれ?!」

その人の目線は地面に向かっていて、
私も同じくそちらへ目を向けると、そこには、何やらモゾモゾと動く虫がいました。
(少し大きい写真が下に続きますので、虫が苦手な方はご注意くださいませ汗)

よくよく見てみると、どうやら3匹の虫が一体になってもぞもぞとしているようでした。確かに「何やこれ⁈」という状況です。

じゃれ合っているのか、交尾をしているのか、共食いをしているのか、
はたまた違う何か意味がある集団行動なのか…

しばらくみんなで見ていましたが、結局よくわかりませんでした。
分からないので、みんなの関心も無くなって、その場を去って行きました。
まぁ、当然な話です。

私もいつもなら同じように去っていくのですが、この時は瞬間思いとどまるようになりました。私がスマホを持っていなかったので、友人に写真だけ撮ってもらいました。
というのも、最近個人的な興味と関心を持つようになったものの中にミツバチがいて、ミツバチを通して「昆虫」という存在が人間にとってどれほど重要なのかを知るようになったからでした。

この虫も、何か大事な存在かも知れない。そう思いました。

虫というのはとても貴重な存在です。
世界には虫が約100万種以上が存在すると言われ、これは地球上の生き物の7割を占めるそうです。

それだけ多様な虫はただ存在しているわけではなく、
それぞれが地上で大小の役割を担っています。

(分類学上、正確には昆虫ではなくなってしまいますが)小さな動物、ダンゴムシ(甲殻類)やミミズ(軟体動物)は、落葉や様々な有機物を食べて分解し、土の中で微生物たちがよく生きられる環境を作ってくれています。そのように微小な動物が栄養豊かな土を作ってくれてこそ、植物がよく成長します。人間にはできない働きをしています。

また前述したミツバチについては、「世界の食料の9割を占める100種類の作物種のうち、7割はハチが受粉を媒介している」と国連環境計画(UNEP)アヒム・シュタイナー事務局長が2011年に報告しており、ミツバチは生態系だけではなく、人間にもとても重要なものです。そしてこれもやはり人間にできない働きです。

私が昆虫学者ではないのでこれ以上の具体例は補足できず恐縮ですが、
とにかく私たちの生活の土台は虫をはじめとする小さな生き物によって作られていると言っても過言ではなさそうです。
そして私が昆虫学者でない代わりに、聖書を教える牧師の立場から虫について補足させて頂くなら、実は聖書的、霊的に見ても「虫」はとても貴重な存在だということがあげられます。

主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、
恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。
あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

イザヤ書41章14節

あなたは人を海の魚のようにし、
治める者のない這う虫のようにされる。
彼はつり針でこれをことごとくつり上げ、
網でこれを捕え、引き網でこれを集め、
こうして彼は喜び楽しむ。

ハバクク書1章14,15節

このように聖書では、人は虫に譬えられます。

その小ささ故か、弱さや儚さ故か、
神様は人間を「虫」のような存在としてご覧になっているようです。
「虫」のように見られていると聞くとあまりいいイメージではないかもしれません。しかし、それは決して”虫けら”というような蔑んだ目線ではありません。
前述で引用したハバクク書には「彼は喜び楽しむ」と記してあるように、
神様は人間の小ささ、弱さをご存じでありながら、なおかつ
人をその喜びと楽しみの対象としてご覧になっている、ということです。

そして、聖書で人間が虫に譬えられるということは、
人間が虫を見る目線と、神様が人を見る目線は置き換えられるということです。

虫も、人間も、いずれも神様が創造したものですから、
虫という存在が人間にとって貴重だ、ということが言えるならば、
それと同じく、人間という存在が神様にとってもそのように貴重だ、ということも言えます。

しかしその貴重さというのは、無条件生きるものではありません。
お互いに関わっていてのみ生まれるものです。
虫が人にとって大事な役割を果たすことを知って初めて、その貴重さを感じます。その虫が自分にとってどんな影響を与えるのかを知らなければ、貴重さも何も感じることができません。

冒頭の、正体不明の虫を見ながら、私たちは結局彼らの貴重さを知るには至りませんでした。だから関心がなくなって見なくなりました。

しかしもし彼らが、自分にとても貴重な役割を果たしてくれている最中だったなら、どうでしょう。どれどれ、もう少し見てみようか、となったのではないでしょうか。

主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、
恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。
あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

イザヤ書41章14節

神様は「あなたを助ける」とまで仰いました。

ミツバチはその減少の危機が訴えられていて、世界各地で保護活動が行われています。彼らの役割が貴重だと人間に認識されたからです。
他の動物たちも、一度絶滅の危機に瀕したりなどすれば、そもそもの原因を人間が作っていることもありますが、その問題解決もやはり人間の助けなしにはあり得ない現状があります。

ひとつの虫、ミツバチがそうであるなら、人間も同じではないでしょうか。
虫には人間にできないことができます。だからそれぞれその存在価値があり、その存在価値のために助けてもらえます。
それと同じく、人間も神様自身もできないことができるように創られたと私は信じます。であれば、その存在価値を何とか発揮してみたいもの。

このようにして、正体不明の虫から始まった考えは、
今日も神様が、虫一匹を見るように、なにか助けることはないかと愛と関心を持ってご覧になっていると考えて、自分の価値を発揮できるように願い求めながら生きようという心に落ち着きました。

私も自分の価値を探し求めている虫のような存在ですが、
歌を歌い神様を喜ばせた聖書のダビデ王に倣い、
今日は一篇の詩で締めくくってみることにします。

「関心」

地面で戯れる虫よ
楽しいのか
苦しいのか
嬉しいのか
悲しいのか
何故そのようにするか
分からないから関心も消えていく

大きな地球を神様は愛で創造された
目的をもって創造なさった
ならばこの虫一匹も
ただ生まれたのではないだろう

虫一匹、動物一匹からファーブルもシートンも
世界的で記録的な成果を生んだ
興味と関心の考え
貴重に思う心と考えだ

関心が初めだ

虫が地を耕し
虫が花粉を運び
虫が地の産物を支えている

虫がいなければ
植物の生も成り立たず
人間の生も変わってしまうのだ

関心が愛で
研究で
発見で
創造だ

そのように関心を持たれていると
虫がどうして知るだろうか

地上を眺める神様がそのようにそうだ

(2024年5月6日 瀬戸内海 大三島にて)

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